ずいぶん前だけど「ほん田」で「香味鶏だし特性ラーメン」いただきました。

この店4、5年前だったか、今は亡きラーメンの名店「べんてん」のそばに突如現れた。
当然入るっきゃない。「1/fのゆらぎ」なんて文学的香りのする店名。これは焚き火やロウソクの不定期な炎の揺れ、小川のせせらぐ音などの、周波数に反比例するゆらぎのことで、人間がもっとも落ち着く不規則な自然の波だ。こんなデリケートな店名ならば、よほどセンシティブなカレーがでてくるのだろうと想像していたら、まったく正反対だった。

武蔵野音楽大学そばにあるインド、ネパール料理屋。主人はネパール人みたいな風貌だけど、実は日本人。僕も北インド界隈に2週間ほど滞在したとき、オールドデリーにある繁華街チャンドニーチョークの横丁をぶらぶらしていると、
「いつ山から降りてきたんだ?」
と、シーク族のオッサンに声をかけられた。どうやら長い滞在で日焼けしてネパール人に間違えられたようだ。

中野駅南口、「中野郵便局」へ繋がる裏通りの左手3階に「アチャラ・ナータ」がある。
昔々、この店の3階に「マッチボックス」という洋風居酒屋があった。ご主人は元GSで活躍したプロのミュージシャンで、客の歌にあわせてご主人自ら伴奏してくれた。客層は近隣のOLが大半、主人は彼女たちの会社や恋愛の悩みに親身に耳を傾ける人だった。料理も抜群に美味しくて、またそのデコレーションはビックリするほど美しかった。

この青山界隈。イタメシ、焼き鳥はだいたい旨いんだけど、その他の店がピンと来ない。ミシュランの星を獲得した天ぷら屋はあるんだけど、う~ん。仕事じゃなきゃこの辺りはあまり縁がない、打ち合わせや、撮影用のレンタル食器屋に寄るときは、昼時に調整してこの外苑前の「磯美屋本店」で天丼をいただくことにしている。

西武新宿線「中井駅」界隈を散策していると、「お茶ん」という店が目に飛び込んできた。メニューを眺めると「ありゃ、魯肉飯じゃないか」こりゃ食うっきゃない。

5,6年前、上海の金持ちから仕事の依頼があった。内容は上海で日式のカレーライスのチェーン店を作りたいとのことで、銀座にある仲介会社を経て僕に依頼が来た。

「すみません、ココなに屋さんですか?」
「あっ、ハンバーグ屋さんですよ」
昼時、無性にハンバーグが食べたくて新宿南口を徘徊していてある行列を発見、並んでいる客に声をかけて知った店で、もう10数年前のことだ。新宿南口店はビルの改装で閉店、新宿はこの東口店だけ。

東武東上線の「越生駅」は「大高取山」があり、僕が小学校の頃、ここは遠足の定番だった。現在ハイキングコースとして注目されているほか、梅農家が林立していて「梅園」がいたるところにあり、2月~3月下旬まで花見客でこの界隈は賑わう。熱海や水戸の梅林は鑑賞だけだが、越生の梅林は梅を育てているので、いたるところで、梅干か直販売されている。

打ち合わせを終えて、鰹節屋「にんべん」で買い物を終えた昼飯時。どこか旨いランチはないかと、辺りを徘徊していたら「辛口和風カレーライス700円」という看板が目に飛び込んできた。店の前に佇んでいたら、次から次へと客が中に吸い込まれていく。こりゃ入るっきゃない。

キラビヤカで情緒不安定な若者が、僕の学生の頃と変わらず今も戯れている渋谷。そんな輩からいつも浮いた存在なのに、渋谷で遊ばなきゃ学生じゃない、という強迫観念に囚われていた時期があった。

ずっしりとした店構えは歴史を感じさる。創業はなんと100年ほど前とは驚き、店主の鍋島幸太郎さんで4代目なのだそうだ。開店当初は鶏料理専門だったが、戦後にウナギを始め、兜町も近くにあり、ウナギは龍にたとえられ、相場が上がることから証券マンにもてはやされたそうだ。

JR山手線「目白駅」の改札を出て左手、交番脇の狭い階段を下ると三叉路、その真ん中の勾配を10メートルほど上ると、住宅街にぽつんと佇む小料理屋風情の「さんかく」が姿を見せる。ここは紛れもなくラーメン専門店だ。

銀座での打ち合わせの帰りに、おもちゃのデパート「博品館」に寄った。別に何かを買うつもりはなく、中国人の観光客に混ざって、おもちゃを眺めたあと、エレベーター付近でインド料理屋の看板を目にした。
「あれ、『カーンケバブビリヤニ』ってビリヤニ食わせるインド料理屋か…。こりゃ入るっきゃないな」
ということでさっそくエレベターで6階へ登った。

神保町の交差点そばの横丁に「shalekobe」というバーを発見。表の看板に「南インド風スープカレー」なるランチの立看が目にとまり、そのまま突入。