JR鶯谷駅北口から、言問通りを越えて尾竹橋通りをちょいと進むと、右手に「根岸小学校」、その角を右折し、15メートルほど行った先に、こぢんまりと佇む下町の洋食屋「ビクトリア」が現れる。
創業は昭和27年。二代目主人大原俊一氏と奥さんで切り盛りする店内は、カウンター4席、テーブル18席ほどで、昼時はいつもサラリマンやOLで満杯だ。
JR鶯谷駅北口から、言問通りを越えて尾竹橋通りをちょいと進むと、右手に「根岸小学校」、その角を右折し、15メートルほど行った先に、こぢんまりと佇む下町の洋食屋「ビクトリア」が現れる。
創業は昭和27年。二代目主人大原俊一氏と奥さんで切り盛りする店内は、カウンター4席、テーブル18席ほどで、昼時はいつもサラリマンやOLで満杯だ。
新橋烏森口から徒歩7分。繁華街の喧噪からちょいと離れた立地ながら、カレーマニアに絶大な人気を博す「ザ・カリ」は、近隣のOL、サラリーマン、遠方からの来客で日々賑わっている。店内はコの字型のカウンター10席のみ。昼時は行列必至だ。
茅場町にある「牛幸」は、ある店の取材の帰りに偶然発見した、10年ほど前のことだ。 「なんだこの行列は! 明日もう一度確かめに来るか……」 ということで、翌日の11時頃に訪れた。
浅草橋界隈は、色々な問屋が点在している。特にビーズ、スワロフスキーなどのデコレーションパーツの専門店が数多く犇めいている。僕の身近にも、財布やスマホなどを装飾するデザイナーの女性がいて、
「自分で素材を加工するのもあるけど、材料の大半は浅草橋で買い付けてくることが多いわね」
と彼女が、買い付けの帰りに立ち寄るのが「水新菜館」で、
「いろいろ食べるけど、やっぱ、あんかけ焼きそばがいいわね」
と教えられ、食べに行ったのが一昔前のことだ。
ホワイト餃子は野田が本店で、暖簾分けした店が方々にある。ここもその一つ。この店はかつて都営三田線の「蓮根駅」近くにあった店で、十数年前にこの高島平の首都高5号線高架の道路沿いに移転してきた。
「今日は餃子定食が食いたい!」と、そんな衝動にかられるとき、真っ先に頭をよぎるのが、池袋にある「東亭」だ。昼時はサラリーマンやOLでいつも行列の人気ぶり。かれこれこの店に通って20年余りになる。
浅草、浅草寺裏手、国際通りの交差点に近い言問い通りに垂直に面した千束通り商店街のはずれに、取材拒否のカレーの名店「百里香」がある。
この店を知ったのは10数年前。近所に「乙姫」という煮込みがめっぽう旨い居酒屋(閉店)が開店前だったので、当たりを徘徊していて偶然見つけた店だった。
神楽坂、靖国通りに面した狭小のカレー屋「インドール」をご存知か。
随分昔にカレーの食べ歩き(いまもそうだけど)に勤しんでいた頃、この店も当然訪れている。でもここに立ち寄るときは「豚肉の生姜焼き」の記憶ばかりで、肝心のカレーライスの思い出が全くないのだ。飯田橋での打ち合わせの帰りに5数年ぶりに店の前に佇み「なんでだろうと…」と首を傾げながら暖簾をくぐった。とんかつも食べたかったので、
高田馬場は日本一多くのミャンマー人が暮らす街。そんな彼らが利用するミャンマー料理屋がこの界隈には10軒ほどある。
僕がよく行く店は、駅前から斜めに進む「栄通り」を、10メートルほど進んだ左手のビルの4階にある「シュエーオー」だ。
高田馬場には旨いとんかつ屋が3軒ある。ダントツは「とん太」、次に新参の「成蔵」、
そして最後の一軒が「とん久」だ。いずれもラーメン屋を凌ぐ行列店。コスパのいいとんかつチェーン店が2軒あるけど、どうもピンとこない。
昨年末、飯田橋の歯医者で治療を終えて、自宅まで歩いて帰ることにした。
神楽坂通りから早稲田通りに入り、弁天町の交差点で「としおか」(高田馬場にあった今は亡き名店、べんてんで12年働いた唯一のお弟子さんの店)に差し掛かったが、すでに30人ほどの行列、あきらめてひたすら闊歩。早稲田通りから穴八幡神社の交差点を右手に折れて、早稲田大学文学部の校舎から大隅通り商店街に入る。かつてこの界隈に僕の事務所があったので、ただ漠然とそこを確かめようと考えていたら、昔よく通っていた「浅野屋」という蕎麦屋が現れた。
12月4日発売の『dancyu』一月号で、記事を書きました。
続きを読む dancyu 2016年1月号
新刊『今宵もぷらぷら居酒屋天国』(学研刊・税別1500円)が7月10日に配本されます。
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