「新板橋駅に新しいラーメン屋で出来たんだけど知ってる。旨いんだなこれが」
とある立ち飲み屋で出会った社長さんからの情報だった。
続きを読む 新板橋「醤油ラーメン柴」ザ・ラーメンといったシンプルながら美しいデコレーション。ガラの深い旨味と乾物の風味香る美味しい醤油ラーメン。
「新板橋駅に新しいラーメン屋で出来たんだけど知ってる。旨いんだなこれが」
とある立ち飲み屋で出会った社長さんからの情報だった。
続きを読む 新板橋「醤油ラーメン柴」ザ・ラーメンといったシンプルながら美しいデコレーション。ガラの深い旨味と乾物の風味香る美味しい醤油ラーメン。
JR、私鉄、地下鉄各沿線をあてもなく巡ることがしばしばある。そして意味もなく見知らぬ駅に舞い降りて界隈をプラプラする。これが楽しい。
「西武柳沢駅って何があるのかな…」
北口の富士街道沿いにある「浦安」という鰻屋が目に留まる。
「これ、持ち帰り専門店か」
店で食べられないので再びプラプラ。これといった店が見当たらず、南口へ。界隈を30分ほど徘徊、気になった店が「一丸」だった。
坦々麺専門店の「双六」は、西川口のはずれにあるスーパー銭湯「七福の湯」の帰りに、よく通った店だった。てもある日、忽然と姿を消してしまった。
大宮バイパス沿いのディスカウントストアー「ロジャース」に用があり、駐車場に車を留めると目の前に真新しいラーメン屋が、
「あれ、この店双六じゃね…」
偶然見つけてしまった。「ロジャース」の横で復活していたのだ。
続きを読む 北戸田「成都式坦々麺双六」ロジャース戸田店の横にある味わいの坦々麺、旨し! 駅からかなり離れているけど、この店はいいね。
吉祥寺に用があるとすればなんだろう? まだ行ったことはないけど「ジブリ美術館」これいまんところの課題。それと「いせや」で飲む、そのぐらいか。若い頃はただこの界隈を徘徊するのがちょっとは楽しかったけど、もはや打ち合わせなどがない限りまず訪れない街だ。久々に来たら、お嬢さんオバ様のま~綺麗でセンスのいい人が多こと、目の保養になる。
埼玉県の加須に浅草「来集軒」と関わりのあるラーメン屋があるとの情報で、友人3人で訪れた。県道152線沿いにあり、東武伊勢崎線「加須駅」、「花崎駅」のほぼ中間で、両駅からはえらく遠い道のりだ。開店と同時に訪れるとすでに満杯、しばらくしてテーブル席に通される。
続きを読む 加須「来集軒久下店」クセにさせられる穏やかに美味しいラーメンと何個でも食べられる小ぶりなシュウマイ、どれもピカイチ。
この場所はちょっとした離れ小島で、店へのアプローチも様々だ。最寄りの駅は都電荒川線「小台駅」で、「小台大通り」の脇道の「小台銀座本通り商店街」を明治通り方面へ抜け切ったところにある中華屋。実はこの日、近所にある錦州餃子の「華味」に行くつもりだったけど、どうも開店する気配がない。
「しょうがない、プラプラするか…」
で見つけたのがこの「北珍」だ。
五反田東口、怪しい風俗街の一角に「はせべ」がある。昼時はサラリーマン、OLで賑わう人気店だ。店内はカウンター6席に4人席テーブルが2卓。メニューはラーメン各種のみ、餃子やライスなどは置いていない。
ここは「バラそば屋」など運営する会社の別ブランドのラーメン専門店。開店当初、スープは家系を思わせる風情だったが、乳化具合がやや弱めになったような?
かつて荒川区の町屋で2001年にオープンした「勢得」。僕の記憶だと、大家か不動産屋との折り合いが良くなかったようで、2007年頃に千歳船橋に移転したと思う。町屋の頃は、高田馬場にあった「べんてん」によくご夫婦で食べに来ていた。
仙台で一泊し、朝7時半に車で出発。高速「山形自動車道」を進むと、月山の付近で雪に見舞われる。およそ2時間半の道のりで、日本海に面した旅館「琴平荘」にたどり着く。
「何番目ぐらいかな」
2~3時間待ちなんて噂されていて、山形の寒空で行列することを覚悟して重装備。
「あれ! そんなに車止まってないな…」
平日だからか、乗用車が2台。どこに並べばいいのか迷っていると、先客が旅館の中へ入っていったので、その後に続いた。
続きを読む 山形・鶴岡「琴平荘」(コンピラソウ)10月から5月までしか営業しない旅館の噂のラーメンを食ってきた。この店主は只者じゃない、すべてのラーメンが旨かった。
相撲グッズでデコレートされた店内、カウンターは5席、2人掛けのテーブルが3卓となっている。店主は元力士のようで、その体格の良さに目を見張る。
昔々、常盤台駅南口を降りた向かいのビルの3階に、音楽の貸スタジオがあった。20代の頃バンドをやっていて、ここをよく利用していた。その練習終わりに中華屋の「長栄飯店」、「華月園」などに寄って腹ごなしをしたものだった。その中にこの「香雅」もあった。
門前仲町に来ると「おはる」か「こうかいぼう」でラーメン、「キッチンまつむら」でハンバーグやメンチカツ、または「富水」で魚のランチが多い。富岡八幡宮の前はよく通る道だけど、「しんば」は3階にあって、なかなかその存在に気付かなかった。
江戸川橋の話はこのブログでよく書いているけど、サラリーマン時代過ごした界隈で、この店はたまに訪れていた。
客層は近所の本の問屋、印刷屋、製本屋、そこに訪れる営業マンやOLでいつも賑わっている。店内は中華料理屋というよりどこか純喫茶風情の佇まい。
ちょっと前に向ヶ丘遊園にあるカレー専門店「インドール」にお邪魔したときのこと。駅の周辺には何軒かラーメン屋があるんだけど、「インドール」真横にある「大桜」が最も客の入りがよった。後日、駅を再訪し券売機で「ラーメン」720円を購入した。
清澄庭園に来るのは久しぶり、珍しく快晴で気持ちよかった。園内は欧米人の団体客、こんなところまでインバウンドの余波が、日本もメジャーになったものだ。池にある石の上で亀の甲羅干し、なんだかほのぼのとした景色だ。
「井田商店」、「多賀野」の両方の店がやってないことたまにある。仕方なく界隈を徘徊することになり、そんな時に見つけた中華屋。荏原中延の改札が右手脇に入った駅から30秒ほどの立地。店内は左右に仕切られていて、左手がカウンター、右手がテーブル席となっている。
都営三田線や首都高速5号線が通ってなかった頃、まだこの辺りは陸の孤島だった。いや何もなかったと言ったほうが正しい。子供の頃歩いて散策したもので、四つ網を担いで溜池の魚やカエル、青大将をよく捕まえて遊んだ記憶が蘇る。
「ガキの頃からお世話になっている店で、ここのモヤシワンタン麺が何気にうまいんすよ」
誰の行きつけの店だが忘れてしまった。赤羽からの帰りにそんな記憶が蘇り、
「確かからいくって言ってたよな…」
とスマホのメモを確認する。王子駅北口、駅前の北本通りを赤羽方面へ、何本かの筋を右折してしばらく行った右手にその店があった。
この中華料理屋を見つけたのは10数年前。川越街道の下りを走行中、環7に差し掛かる手前の横道に、車窓から一瞬目にとまった店だった。ず~っと気になっていて、最近やっと訪れた。
銀座晴海通りの横丁、袋小路の一角に味わいの「中華三原」がある。
ここを初めて訪れたのは30年ほど前かな。サラリーマン時代、銀座の取引先を回っているとき、お得意さんに連れて行ってもらったのが始まり。
東急池上線「荏原中延駅」でラーメンを食べるとなると2軒だね。一軒は「多賀野」、もう一軒は「井田商店」だ。この日「多賀野」は茹で麺機の不具合で臨時休業。自ずと「井田商店」ということになる。すでに4人並んでいた。本来11時半のオープンなんでけど、この日は11時15分に店主が暖簾をかけた。
西荻窪駅南口。古の路地裏が息づく一角に、味わいのラーメン専門店「はつね」がある。
タンメンの名店と謳われて久しく、ここを訪れるのは数年ぶりかな。
「シイタケそば」って聞きなれないメニューで、あまりピンとくる人は少ないと思う。
「シイタケそばが食いたいな~」
たまにこんな気分の時があるのは、美味しい店を知っているからなんだな。「シイタケそば」で思い浮かぶ店は2店舗。神田の「十八番」と中野坂上の「華吉」だ。この日は新宿で打ち合わせがあり、
「ちょっと神田は遠いから、中野坂上の華吉だったら丸ノ内線ですぐだな…」
ということで仕事仲間の友人と訪れた。
この間の9月18日、「べんてん」が復活して1年を迎える。地元の友人一同でお祝いの生花をプレゼントした。
相変わらずの行列で、近隣との摩擦を避けるため、いろいろと並び方を変えた。現在は店内に数名、店の前に5、6人ほど、店に向かって左手の空き家の前に並ぶようになった。
スーパー銭湯「七福の湯」でひとっ風呂浴びたあと、たまにこのラーメン屋にお邪魔している。メニューは「百歩らーめん」680円、「醤油らーめん」700円、「赤百歩らーめん」800円、「揚げニンニクらーめん」830円、「味噌らーめん」830円、「つけ麺」830円など8種類、トッピングは10種類となっている。
白山通りに並行する小石川植物園へ繋がる通り沿い角に「魚雷」がある。入口上には魚雷のオブジェ、というより本物かな。
「本枯中華そばって何なの?」
って前から気になっていて、ある日お邪魔した。
板橋駅での打ち合わせの前に、西口駅横の「キッチンピッコロ」で「チーズ入りトンカツ」か「生姜焼き」を食べようと訪れた。
「あれ? こんなところにいつラーメン屋が出来たんだろう…」
「キッチンピッコロ」の真横にラーメン屋「鯛塩そば縁」。基本この手(奇をてらった)のラーメンはほとんど敬遠するんだけど、なにか惹きつけられるものがあった。
続きを読む 板橋「鯛塩そば縁」鯛出汁のラーメン、奇をてらったものは敬遠しちゃうけど、これはラーメンとしての確固とした味わいがある。美味しいよ。
この店を初めて訪れたのは20年前かな。先代の店主はサラリーマン時代全国のラーメン屋を食べ歩いて研鑽を重ねた。
「大衆食の傑作がラーメンだね」といっていた言葉思い出す。