「新小岩の『コメトステーキ』、メチャ美味しいんですよ」
とボンボン社長からの情報。コスパが素晴らしくなおかつ旨いらしい。早速新小岩に舞い降りた。
「新小岩の『コメトステーキ』、メチャ美味しいんですよ」
とボンボン社長からの情報。コスパが素晴らしくなおかつ旨いらしい。早速新小岩に舞い降りた。
ラーメンとスパイスカレーの両方を提供する店がオープンしたことを知らされた。川口駅西口から店を目指す。方角は「ラーメンかねかつ」の手前にあった。
池袋東口、明治通りに並行した「新文芸座」がある裏通りに「元祖ニュータンタンメン本舗」が出来たのは2年ぐらい前かな。
中学生の頃、モデルガンショップ「MGC」や「CMC」に毎週のように通っていた。その頃から「クラウンエース」は何となく覚えているが、確か喫茶店だったはず。後にカレー専門店になったんじゃないかな。
要町の中華「蓬莱」でラーメンと餃子を食べようと久しぶりに訪問。ところが店がなくなっていた。隣の不動産屋の爺さんにたずねた。
熱海駅のそばにある中華「香蘭亭」を後にして、2次会の熱海銀座に近い大衆割烹「葵」へ到着した。
熱海の初日。網代の「漁師食堂川忠」で昼飯を終え、伊東にある「今井酒店」で、地元の酒を購入して熱海に戻りチェックインした。
巣鴨駅前で待ち合わせ、ボンボン社長のG350dで4人熱海へ出発した。
ある日、神保町から九段経由で飯田橋に行くつもりだったけど、そのまま靖国通りを市ヶ谷方面へ歩くことにした。通り沿いは面白くないので途中、靖国神社の交差点を左折して裏道をプラプラ。
高田馬場界隈で個人経営の居酒屋兼定食屋は数少ない。「一膳」、「食堂ひろ」、「まぜうま食堂」、「あさの」、「いくぞう」、ちょい離れて「一富士」かな。
練馬春日町の交差点は、環八と豊島園、光が丘へ抜ける道が交差している。はるか昔、環八はこの練馬春日町の交差点でほぼ終点、確か豊島園へ抜ける豊島園通りしかなかったと思う。
中央線、総武線の高架脇の小さな三角の空き地で工事が始まり、やがて綺麗な建物が完成した。「何になるんだろう?」と思っていたらラーメン屋が8月10日に開店。
ちょっと前に日本橋にあるメーカーで打ち合わせを終え、そこが経営する本社ビルの1階にあるダイニングバーで軽く一杯。
ある日、梅ヶ丘で野暮用を終え、その帰り何気なく参宮橋を下車した。この界隈はまったく用事がなく、数10年は降りた記憶がない。30分ほど徘徊して店を物色。
ちょっと前に、車力門通りの「アートスナック番狂せ」のママと、打ち合わせを兼ねて飲み会。「杉大門通り」の中ほどにある「マンゲツ」を初めて訪れた。
西新宿、小滝橋通り沿いカレー屋「フィッシュ」があるビルの1階に、9月2日にオープンしたばかりの「ひろちゃんラーメン」を訪れた。
この日は、京橋の「モルチェ」でランチを予定していた。だけど店の前まで行っても開店する気配がない。電話をしても通じない。
入谷の「河金」の帰り、河金丼(カツカレー)の量が少なかったので、もう一杯いける腹具合だった。
家系ラーメンで間違いなく美味しいのは横浜の「吉村家」本店と、新杉田の「杉田家」だけど、なんせ遠い。だから近場ですませている。
大山にある定食屋「ひこうき」をふと思い出し訪ねてみた。「都立板橋看護学校」と「豊島病院」に挟まれた路地。
「あれ、看板が消えてる」
電話を入れてみると、
「もう3年前に店閉めちゃったんだよね」
大正7年、屋台洋食の「河金」浅草のはずれにあった頃、
「トンカツの上にカレーをかけてくれ」
と客からのリクエストにより、カツカレーが日本で初めて誕生した。
小滝橋通り沿いのラーメン屋「古武士」が閉店してから、新しいラーメン屋「リンダ軒」がオープンしていた。
この店を初めて訪れたのはもう10年前かな。梅ヶ丘に住んでいた友人からの紹介だったと思う。
飲み屋のテレビを見ていたら、日暮里の「一由そば」が取材されていた。
「一由はしばらく行っていないな、あ~ゲソ天そばが食いて~」
久しぶりに御茶ノ水駅に来たら改装中で、聖橋口が手前に移動していて驚いた。
この日は、とんかつ屋「なか野」を目指していた。
「あれ、今日やらないのかな?」
だいぶ前になるけど、友人4人で久しぶりに「葡萄舎」を訪れた。
「おう、小野元気にしてたか」
「はい。なんとかやってますよ」
昔このラーメン屋は朝霞台にあったが、しばらくしてみずほ台に移転した。それから一度も訪れていない。
料理をシンプルに作り上げ美味しく仕上げることはけっこう難しい。料理の基本、技術が伴っていない、またはセンスのない人に多く、凝った料理に走る傾向があるかな。たまに美味しいものもあるけど、だいたい悲しい結果になっている。